天神山 常泉寺

常泉寺について

常泉寺の全景(春の桜と寺院)
春の常泉寺 — 桜と本堂の風景

今から550年前の文明年間(室町時代中期)に前芸州大守片桐瑞雲政公大禅定門を開基とし、阿南町関昌寺の正山宗覚禅師を聘して開山とした曹洞宗の寺院 です。
法脈が栄え、七カ寺の末寺を出すほどの勢力があったと言われております。慶長六年四月、徳川家康公は代官朝日受水に命じ、寺領十一石を二度にわたり寄進し ています。
本堂は享保三年春の竣工で300年を経過し、伊那谷で最も古い本堂の一つに数えられます(享保は徳川吉宗公(暴れん坊将軍)の時代)。現在の本尊は釈迦牟 尼如来です。本堂東南の天井裏に八畳二間の隠れ部屋が現在も残っています。
当山は信濃宮(大草宮=後醍醐天皇第八皇子宗良親王)ゆかりの大草城址公園を眼下に望み、春には桜で賑わいを見せています。眼前には中央アルプス連峰と絶 景の地に位置しています。
養命酒発祥の地である中川村の自然と伴に歴史を刻んで参りました。
境内には伊那七福神・大黒尊天、学問の神様・北野天神、商売繁盛・豊川稲荷を境内に祀っています。
飛び地境内として飯島町日曽利に松福寺、中川村銭地区に銭不動尊持ち、広域から参拝者が訪れ信仰の対象とされています。

常泉寺(前庭からの風景)
常泉寺 — 前庭からの風景

昭和36年の大雨災害で中川村全土、当寺院も大きな被害を被りましたが、歴代の住職やお檀家の皆様の多大なる御支援を頂き現在の様相と相成 りました。
特に二十六世は山内だけでなく、中川村の発展に大きく寄与し村内に保育園を設立し初代園長に就任、また寺門興隆の為に大広間も建立し多くの皆様がお集まり 頂ける礎を築き、境内整備に尽力されました。
二十七世は客殿を新設、駐車場も整備され、当地方におけるコミュニティの中心として更に発展させて参りました。
現在の住職は二十八世で令和四年に晋山式(住職交代式)を行い、報恩堂を建立しこれからの時代を見据え誰でもご利用し易い寺院として山内整備に邁進してお ります。また、お一人でもご家族でも安心して眠ることの出来る永代供養付個人墓も建立し、これからの様々な供養のかたちを選択できる墓地を整備しておりま す。

万盛山 松福寺

松福寺本堂
松福寺本堂

常泉寺にはかつて末寺が七カ寺ありました。昭和26年の宗教法人法の改正により、飯島町日曽利にある松福寺を飛び地境内として常泉寺が管理 しております。ここは日曽利地区の方が信仰の対象として心を寄せており、行事も綿密に行っております。
特に、旧歴1月10日には御日待ち(おひまち)といい、皆で郷土料理を持ち寄りながら寒中夜が明けるまで法要を行ったと言われています。ま た、施餓鬼法要も丁寧に行い地域の中心として今も尚存在し続けております。

銭不動(花井山 澄月寺)

銭不動本堂
銭不動本堂

正式名称、花井山澄月寺(はないざん ちゅうげつじ)といい、常泉寺22世花井規外和尚がお寺を作りました。昭和26年の宗教法人法の施行により、この お寺は法人格がなくなり、本寺常泉寺が飛び地境内として護って参りました。標高950メートルにあるお堂の中に高さ30センチほどの木造の不動明 王を祀っています。
300年ほど前に土の中から掘り出されたもので、経年の傷みがあり顔の表情はわからないものの、筋肉や指などははっきりと残っています。

お不動様の逸話として、あるとき今の銭集落にあった田んぼの近くで馬が暴れだし、夜になると地中から怪しげな光が放たれていたそうです。不思議だと思いそ の地を掘り出してみると、お不動様が出てきたということです。その後お不動様は「馬の神様」として崇められるようになり、現在の地にお堂を建てて安置され まし た。馬の不動尊と呼ばれ、各地から馬の仲買人が集まり、山が馬の色で赤くなるほどだったといいます。

また、このお不動様は以前、盗まれた事があるそうです。何年間か本尊様がなかったそうですが、ある時他の場所で銭のお不動様に似たお不動様の像が見つかっ たそうです。調べてみると銭のお不動様であることがわかり、本尊様が無事に戻ってこられたそうです。このことから戦時中は軍隊で招集を受けた方がお参りに 来られ、「必ず帰ってくる」ということで信仰があったそうです。今は、交通手段は馬から車に代わり、「交通安全」の不動尊として祀られており、昭和47年 村の史跡として認定されています。